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伊勢神宮に行ってみよう^^ |三重県

2013年10月29日 担当:suidousetubiadmin

【式年遷宮】(しきねんせんぐう)
式年遷宮とは20年に一度行われる壮大で重要なお祭りのこと。
神宮の建物を新しく立て直すとともに場所を遷し、さらに殿内の宝物もすべて新調します。
これは、伝統的な信仰や文化、建物などが世代を引き継ぐことで永遠の生命を維持するとともに、新しい社殿に遷っていただくことで、神々から新たなエネルギーをいただきたいという気持ちも込められています。
その歴史は古く約1300年前、天武天皇がお定めになり、次の持統天皇の4年(690年)に、第1回の式年遷宮が行われました。
それ以来、戦国時代に中断したことがあったものの、建物の様式や装束の色彩、祭典の形式などのすべてが、古式のままに伝えられてきました。
 
【通なお参りの仕方】
①参拝作法
◎参拝の服装
Tシャツやジーパンなどラフな格好は避け、きちんとした服装で、肌の露出も控えたほうがいいでしょう。神域では帽子をとるのがマナーです。
 
◎神域の歩き方
一つの鳥居の前で会釈をしてくぐり、参道を歩くときは神様の通り道とされる中央は避けて端に寄ります。伊勢神宮では、外宮は左側、内宮は右側通行です。
 
◎手水をする
手水舎で手と口を清めましょう。内宮では五十鈴川に御手洗場でも手水ができます。
 
◎お賽銭を入れる
お賽銭は投げ入れず、すべりこませるように静かに入れます。
 
②お神札・お守り
◎お神札のお祀(まい)りの仕方
神棚にお祀りするのが一般的ですが、神棚がない場合は、本棚やタンスの上など目線より高い場所にお祀りします。お神札が東または南を向く(北か西を背にする)場所がおすすめです。お神札の周りは清浄にし、お榊を飾り、洗米(飯)、塩、水を毎朝お供えします。
 
◎お守りのこと
伊勢神宮のお守りには、袋入守、鈴守をはじめ11種類のお守りがあります。お守りを複数持っていて大丈夫?と気にする方もいますが、日本は八百万(やおろず)の神。神様同士がケンカすることはありません。
 
【神嘗祭(かんなめさい)は神宮のお正月】
伊勢神宮では、年間数えきれないほどのお祭りが行われますが、その多くは稲に関わるもので、中でも最大のお祭りが神嘗祭です。10月15日・16日を中心に25日まで行われ、最初にとれた新穀を神様に捧げます。
神話によれば、天照大御神の孫神から「日本人の主食にするように」と稲がもたらされたと伝えられています。
古来、日本では、主食の米には天照大御神の魂が宿り、新米をいただくことで神とつながると信じられていたのです。
 
【神宮にあるもの、ないもの】
唯一神明造という建築、御神楽の倭舞など、神宮にしか見られないものもある一方、通常の神社にあるもので、神宮にはないものがいくつかある。
注連縄(しめなわ)、狛犬、神前の鈴、おみくじ、賽銭箱などである。
その理由には、伊勢神宮はもともと紙幣禁断といって、皇族しか御神前でお供えができなかったことや、注連縄や狛犬などが普及する以前から神宮は現在のようなスタイルを確率しており、他の神社の影響を受けなかったのではないかという説もある。
 
【20年に一度お引っ越しをします】
神宮では20年に一度、神殿を建て替え、神様を新しいお宮にお遷(うつ)しし、神の力の新たなよみがえりを祈ります。それを神宮式年遷宮といい、我が国で最も重要なお祭りのひとつとされます。式年遷宮は、神殿や御門をはじめ、神々の調度品を新調し、準備も8年前から行われるという大がかりなもの。第一回の式年遷宮が持統天皇4年(690)で、実に1300年以上の伝統ある行事です。第62回神宮式年遷宮が平成25年(2013)に行われる予定で、そのための準備が諸祭が平成17年(2005)より始まりました。
 
【知っておくと便利!伊勢神宮キーワード①】
◎心御柱
御正宮中央の床下に埋められた柱で、神宮では最も神聖なものとされる。
 
◎太一
式年遷宮などのお祭りではこの文字が幟や健在などに書かれている。これは古代中国で宇宙の根源を表し、北極星の神名。天照大御神とも同じ意味で用いられる。
 
◎八咫鏡(やはたのかがみ)
皇大神宮・内宮の御神体。天照大御神が孫神の瓊々杵尊(ににぎのみこと)が地上に天降る際、この鏡を私と思って祀りなさいと与えたという三種の神器のひとつ。
 
【知っておくと便利!伊勢神宮キーワード②】
◎大宮司
伊勢神宮の神職の位は、大宮司、小宮司、禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)、と続くが、トップである大宮司は伊勢神宮だけで、他の神社では宮司がその神社の代表。
 
◎神宮歴
神宮で毎年発行の神宮歴は日本で初めて太陽暦を採用。戦前は神宮歴のみが正歴だった。大暦と少暦があり、農事情報付きの小歴は農家や園芸家に重宝される。
 
◎紙幣禁断
明治の初めまで天皇以外の奉幣(お供え)は禁じられていた。そのため今も内宮外宮の御正宮には賽銭箱がなく白い布で覆われた場所にお賽銭を入れる。
 
【西行も芭蕉も御正宮におまいりしたことがなかった?】
明治維新以前は、僧侶や頭を丸めた人は御神前に近づくことができなかった。そのため、内宮の風日祈宮橋の左岸に僧侶拝所があり、五十鈴川の対岸から御正宮を伏し拝んだ。
平安時代の歌人で僧侶の西行も、この拝所までしか進めなかった。また、江戸時代の俳諧師・芭蕉は、内宮参詣を志すも身なりを神宮にとがめられ、仕方なく6キロ余りの道を引き返し、日暮れ時に外宮の一の鳥居付近にたどり着いた。
 
【もっと通なお参りの仕方 朔日(ついたち)参り】
伊勢には、毎月一日に早起きしてお伊勢さんにお参りし、1ヶ月の無事を感謝し、新しい月の無事を祈る「朔日参り」の風習があります。
1日、11日、21日も一種の朔日参りとなっていて、これらの日の朝には、神馬が菊のご紋の衣装をつけて御正宮(内宮・外宮)にお参りする「神馬牽参」が拝見できます。
また8月1日は八朔といい、昔は、栗の初穂を携えてお参りする「八朔参宮」がありました。今もこの日には、伊勢の人々は朝早く伊勢神宮にお参りします。
 
【宇治橋】
宇治橋は長さ101.8メートルの大橋です。年間で600万人、20年でおよそ1億2千万人が渡り、これは日本の人口のほぼ同じ数にあたります。橋の両端には2つの大鳥居があり、内側の鳥居には、旧内宮御正殿の棟持柱(屋根を支える柱)が使われ、外側の鳥居には旧外宮御正殿の棟持柱が使われます。さらに20年後、内の鳥居は鈴鹿峠の麓「関の追分」の鳥居、外の鳥居は桑名「七里の渡」の鳥居となります。木は棟持柱、宇治橋の鳥居、他の土地の鳥居と合わせて60年のお努めを果たし、その後も他の神社に譲られるなどリサイクルされます。
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【五十鈴川 御手洗場】
神域の西側を流れる五十鈴川は、別名・御裳濯川(みもすそがわ)とも言います。天照大御神を伊勢の地に案内した皇女倭姫命が御裳の裾の汚れを濯がれたという伝説にちなんだ名前です。水源を神路山、鳥路山に発する神聖なとして知られ、参宮の前に心身を清める場として御手洗場があります。徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したといわれる御手洗場は、石畳が敷き詰められ、済んだ流れに錦鯉が悠々と泳いでいます。天気のいい日にはここで口と手を清めることができ、また火除橋を渡った右手にある手水舎でもお清めができます。
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【御正宮(内宮)】
四重の御垣に大切に囲まれた一番奥の御正殿に、天照大御神がお祭りされています。正式なお名前は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)といい、皇室の御祖神でありあり、国民の総氏神です。御正殿は唯一神明造という建築様式で、萱葺きの屋根には10本の鰹木が載せられ、4本の千木の先端は水平に切られています。御正殿をはじめ、付属の殿舎ならびに御垣は、20年に1度、式年遷宮の大祭を行って建て替えられてきました。遷宮によって、昔と変わらない姿を今も拝することができます。
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【御稲御倉(みしねのみくら)】
御稲御倉は、神明造のかたちを間近に見ることのできる建物です。ここにはお米の神様が祀られていて、お米が納められます。神宮神田で収穫された神様にお供えするお米です。御倉はいわゆる高床式倉庫で、中の温度と外の温度を調節して適温を保ち、空気の入れ替えができることから、お米が長持ちします。御稲御倉の隣の倉を外弊殿といい、同様に神明造で、左右一対の棟持柱、屋根の上の千木・鰹木などを間近で見ることができ、中には古神宝類が納められていると言われています。
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【荒祭宮(あらまつりのみや)】
内宮の別宮である荒祭宮は、天照大御神の荒御魂をお祀りしています。内宮に所属する10別宮のうち、第一に位しています。殿舎の規模の他の別宮よりも大きく、行二丈一尺二寸、妻一丈四寸、高さ一丈四尺八寸あります。荒御魂とは和御魂に対して、活動的な力を表します。何か特別なものを感じるという地元の人も多く、熱心にお願い事をする人の姿をよく見かけます。西の新御敷地の籾種石を少し進むと、注連縄の張った荒祭宮遥拝所があります。荒祭宮にお参りする時間がない場合には、こちらで拝礼ができます。お祭りも正宮に次いで行われる第一の別宮として丁重に行われています。
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【風日祈宮御橋(かざひのみのみやみはし)】
長さ43.6メートル、幅4.6メートルのこの橋はまたの名を「五十鈴川御橋」といいます。南端の欄干には「太神宮風宮 五十鈴川御橋明応七年戌午本願観阿弥 敬白」の銘が刻まれていて、室町時代に勧進聖の神忠によってかけられたと言われています。橋の下には五十鈴川の支流である島路川が流れ、内宮の中でも格別に美しい場所として、新緑や紅葉の名所にもなっています。
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【風日祈宮(かざひのみのみや)】
雨風は農作物に大きな影響を与えることから、外宮の風宮と同じく、風の神様であり、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子神である級長津彦命、級長戸辺命がお祀りされています。元来は「風神社」と呼ばれ、元寇(げんこう)の際に2度にわたって神風を吹かせたという功績から、外宮の風宮と共に別宮に昇格しました。「風日祈」とは、古来、当宮で7〜8月に毎日、雨風の災害がないようにお祈りする神事のことをいいます。現在では、5月14日と8月4日の2度、風雨の災害がないように、また五穀が豊かに実ることを祈願する風日祈祭りが内宮と外宮で行われています。
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【二の鳥居】
一の鳥居くぐり、しばらく歩いていくと二の鳥居があります。奉幣のお祭りの時、弊はくや勅使の修祓が此処で行われます。鳥居に飾られている植物はサカキで神聖な場所でもあることを示しています。皇室の方の車は二の鳥居まで入ることができ、ここから御正宮までは、歩いて向かわれます。この鳥居は伊勢神宮の遷宮の度に鳥居も立て替えられます。
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【忌火屋殿(いみびやでん)】
忌火屋殿はいわば神様のための台所です。外宮では、日々の神様のお食事が作られ、内宮にある切妻造・二重板葺のこの建物でも大祭前には、神様にお供えする神饌(しんせん)が調理されます。「忌火」とは「清浄な火」という意味で、御火鑽具を用いて清浄な火をきり出し、その火を使ってお供えものを調理します。またお酒を年に3回、三節祭の時にここで仕込みます。この忌火屋殿の前庭は祓所と呼ばれ諸祀典の神饌と奉仕の神職を祭典前に祓い清めます。
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【月讀宮(つきよみのみや)】
内宮別宮の月讀宮は、守の中に四つの社殿が建ち並び、月讀尊、月讀尊の荒御魂、伊弉諾尊、伊弉冉尊は、月讀尊の父神が祀られています。伊弉諾尊、伊弉冉尊は、月讀尊の父神、母神であり、月讀尊は、伊弉諾尊が禊をした時に生まれた神様で、外宮の別宮・月夜見宮のご祭神とご同神ですが、月夜見宮では「月夜見尊」の字が用いられています。また夫婦神を祀ることから、夫婦円満や縁結びを願う人もいます。「月讀」の漢字は、昔、月の満ち欠けをカレンダーがわりに、農作物の計画を立てていたことに由来します。
 
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【瀧原宮参道(たきはらのみやさんどう)】
伊勢から熊野へと向かう熊野街道沿い、宮川支流の大内山川沿いに佇む瀧原宮は、豊かな自然と静寂に守られています。一の鳥居をくぐると、老杉が茂る参道が川と並行して続き、せせらぎをたどりながら深い森の奥へと導かれます。小さな橋の手前の小道を降りていけば、谷川の御手洗場が現れ、石の間や地中からは清水が沸き出し、森に抱かれているような心地よさが感じられます。参道で鹿に出会えたり、6月頃には御手洗場付近にホタルが飛び交う姿も見られるなど、太古のままの自然に包まれて、思わず時間を忘れて過ごせそうな神域です。
 
【瀧原宮(たきはらのみや)】
倭姫命が天照大御神の永遠の鎮座地を求めて旅をし、ひとときお宮が置かれていたことから、「神宮の遙宮(とおのみや)」と呼ばれているのが瀧原宮です。神話によれば、倭姫命がこの地を訪れた際に急流の瀬に困っていると、真奈胡神が現れて川をお渡しになりました。この神の案内で「大河の瀧原の国」という美しい土地にたどり着き、草木を刈り払って神殿を建てられた、と伝えられています。瀧原という名は、大小たくさんの瀧があることに由来します。瀧原という名は、大小たくさんの滝があることに由来します。瀧原宮は、ミニ内宮とも呼ばれるほど、内宮によく似た地形や雰囲気をもち、伊勢神宮のふる里とも言えるお宮です。
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【山口祭】
遷宮の御造営にあたり最初に執り行われる祭儀です。御造営用材を伐採する御杣山の山口に坐す神を祭ります。御杣山は時代により変遷がありますが、古例のまま皇大神宮は神路山、豊受大神宮は高倉山の山麓で行われます。伐採と搬出の安全を祈願します。式年遷宮は、この山口祭に始まり、8年間にわたって30以上に及ぶ祭典、行事が行われます。
 
【神楽殿】
銅板葺・入母屋造の建物で、向かって右から神楽殿、御饌殿、御神札授与所があります。神楽殿は、個人的なお願い事を御神楽という丁寧な形で祈願するための御殿です。下宮の神楽殿と同様、毎日朝8時30分から夕方4時まで御祈祷を受け付けています。御神楽は舞楽を伴いますが、少し簡略化されたものが御饌という御祈祷で、隣の御饌殿で行います。御神札授与所では、御神楽、御饌、献金の申し込み、お神札、お守りの授与、参拝記念の朱印を受け付けています。
 
【御木曵初式】
伊勢市・二見町・御薗村の三市町村に住む旧神領民によって、神宮ご造営に必要な御用材の内、各宮の主材となるものを両宮に奉曵する伝統行事「御木曵」のはじめに行われる儀式です。正宮や別宮の棟持株などにあてられる「役木」という代表的な御用材を、ゆかり深い特定の町の住民が神域に曳き込み、「役木曵」とも称します。内宮では御用材を橇に載せて五十鈴川を運ぶ川曵きで、下宮では御用材をお木曵車に載せて運ぶ陸曵きで運ばれてます。
 
【風宮(かぜのみや)】
風宮は、土宮の東に鎮座し、風の神である級長津彦命、級長戸辺命をお祀りしています。農業に関わりが深く、風雨の順調を司る神様です。元寇の際には、2度にわたって神風を吹かせたのが、風宮と内宮の風日祈宮と言われ、その功績により別宮に昇格しました。元来風宮は風雨の災害なく稲を中心とする農作物が順調成育するようにと祈りが捧げられる社でありましたが、元寇以来国難に際しては神明のご加護によって国家の平安が守られるという信仰がそこに加わりました。
 
【土宮(つちのみや)】
外宮の別宮の一社である土宮には、大土御祖神が祀られています。土宮は別宮の中で唯一東向きで、他のお宮はすべて南を向いており、土宮は豊受大神宮より古いと言われています。明治時代の式年遷宮の際、南向きに変える案もありましたが、明治天皇の命により現状のままとなりました。国の機構はがらりと変わりながらも、神宮の神事だけは変えないという明治天皇のお考えによるものです。
 
【多賀宮(たかのみや)】
外宮には別宮といわれるお宮が三社あり、そのうち第一の別宮が多賀宮です。高いところにあることからこの名前が付き、昔は「高宮」という字が使われていました。多賀宮は他の別宮と違い、ご祭神が御正宮と同じで、他の別宮には玄関に相当する鳥居がありますが、ここには鳥居はありません。豊受大御神の荒御魂が祀られ、現実的なパワーが強い神様と言われています。個人的なお願い事はこちらでするとよいとされ、二拝二拍手一拝でお参りします。
 
【御正宮(外宮)】
御正宮とは、神宮の中で中心となる所のことで、この御正宮には、衣食住や産業の神様である豊受大御神が祀られています。外玉垣南御門の奥は、御垣内と呼ばれる清浄な神域であり、さらにその奥に御正殿があります。御正殿の建築様式は弥生時代の穀倉が原型の唯一神明造で、御正殿の前方に東宝殿、西宝殿があり、前回の式年遷宮の時に作られた御神宝などが奉納されています。御正殿と東宝殿、西宝殿を囲む四重の御垣を内から外へ、瑞垣、内玉垣、外玉垣、板垣といい、一番奥の瑞垣の内が内院で、最も洗浄な神域です。